2006年4月27日 (木)

水難の相 今日こそパート2 

ふぅ~(・。・)おっ、出てきた、出てきた!!

うれしいなぁ~V(○⌒∇⌒○) ルンルン

ほほぉ~o(*^▽^*)o♪

いやいや、一人で喜んでしまった!

実は以前から、みんなが使ってる顔文字が気になってたんやけど

はたして、あんなもんを、いつもいちいち作って入れてるかな?

と、気になっていたのだ。

(以前も書いたが、僕はパソコン初心者なのだ)

隣の喫茶店、マックのにーちゃんがパソコンに詳しく

よく助けてももらっている。

今日、思い切って聞いてみたら、「簡単やで!」

といい、ちょいちょいっといじって「ほい、できた!」

彼は、いつも気さくで親切なのだ。

ってなわけで、σ(⌒▽⌒;) ボクご機嫌!!

いやぁ~、顔文字つくと文章がより効果的な感じに(^^♪

(〃^∇^)o_彡☆あははははっ

って、もうええっちゅうねん!!

はい、すんません。

そろそろ、本題、に入ろう。

そう、妻から電話を受け、僕は急いで店へとむかった。

(はじめて読む方は、2日前の「水難の相」から読んでいただきたい。

 今日のは、その続きである。)

その日は、昼間お天気がよく、空には星が出ていた。

(大阪の空に星?すみません、これはイメージです。

 それくらい、すっきりした夜だと言うことです)

店に戻ると、妻がまだかまだかと待っている様子。

僕は自転車を止め、一歩店内へ。

うわぁ~、こりゃすごいw(( ̄ ̄0 ̄ ̄))wワオッ!!

まるで土砂降り!!

ざーざーと、天井から雨が降っている。

しかし、これは雨ではない。屋内なのだから。

そして早速、原因の2階へ上がる。

またまた、w(( ̄ ̄0 ̄ ̄))wワオッ!!

一面水浸し。

そして、床の一部から噴水状態に水が噴出し

それを、家にたまたまきてくれていた、水道屋の兄ちゃんが

手を突っ込み必死で止めている。

下に降りて、妻に話を聞いた。

はじめは、天井の一部から、

ポタ、ポタッ、と、水が落ちてきたと言う。

先に妻が気が付き、水道屋に

「あれなんですかねぇ~?」と聞いたところ

水道屋は怪訝な顔をしたところ

そのすぐ跡に、二階のスタッフが降りてきて

「すみませ~ん!!なんか水が止まらなくて

 こちらは大丈夫ですかぁ~?」

妻も二階のスタッフも、そのときは、

そんなにたいそうに考えてなかったらしい。

ただ一人、水道屋の兄ちゃんだけは飛んで2階に上がったと言う。

そこから先は、どんどん水漏れ箇所が広がっていき

僕が帰ってきたときの天井から土砂降り状態へとなったわけだ。

僕はまず、不動産屋に電話。

そして次には、友人でもあり弁護士でもあるT氏に電話。

(僕はこう見えても、かなりの慎重派

 準備は怠らないたちなのだ。)

2階のスタッフも、きっとあっちこっちに電話したのだろう。

僕の店の前には、見る見る人が増えていく。

みんな思い思いに、あーやこーやと憶測が飛び交う。

向いのイタリアンのマスターも、心配してやってくる。

その頃やっと二階の水が止まった。

水道屋のにーちゃんの必死の仕事のおかげだ!

でも、まだ2回の床は水の海。

あれが全部うちの店に落ちてしまうまでは、店内の水漏れは止まらない。

2階のスタッフは、青い顔で誤りに来て

店内の被害を防ごうと、雑巾で拭きまわっている。

寒いさなかである。

かなり、気の毒だ。

誰が悪いとかではない。

話を聞いていると、これは事故である。

そしてしばらくすると、店内の水漏れもようやく止まった。

心配なのは、電気関係だ。

夜に8時を回り、詳しい検査は明日になる。

とにかく、掃除だけ済ませることにした。

しかし、偶然、うちに水道屋が来ていたからよかった。

彼のおかげで、短時間で水が止まったものの、

そうでなければ、どうなっていたことか。

この偶然と、彼の親切な仕事に感謝感謝である。

結局、次の日の検査でも異常はなく

細かい、壁紙のはがれなどはあるものの、

まー何とか、オープンできそうだ。

ここでようやく、胸をなでおろした。(*^。^*)

それが、オープン前日である。

いやぁ~、たいへんやったなぁ~(-。-;)

そして、水道屋兄ちゃんとこの社長から電話があり

ねぎらいをいただいた。

「大将!水商売で、天井から水が降って落ちてくるなんて

 縁起いいでっせ!!

 大変やったけど、きっとこれは商売がうまくいくって

 ことやおもいますわ!」

いやぁ~、ありがたいお言葉!Y(>_<、)Y

そして僕は、心強い気持ちでオープンを迎えるのであった。    

2006年4月25日 (火)

水難の相

僕の妻は、まだ若かりし23歳のときに

実家のある千葉から、単身で関西に来た。

その当時、一人で暮らす、「若き娘」を心配して

彼女の母が、とある占い師のもとを訪れた。

その時に

「彼女には水難の相がある」

と、いわれたらしいが、そんな昔のことはずっと忘れていた。

しかし、今回この店舗を借りて

改めて、その言葉を思い出すことになったのである。

まず、店舗を借りて「焼き芋」「弁当」をはじめたことは

以前にお話ししたが

その期間1ヶ月ほどで、3回も下水があふれた。

お米を洗うと水があふれ

大鍋を洗うと水があふれ

厨房の足元の排水溝から、ボコボコと水があふれてくるのだ。

そのたびに、業者を呼び、水圧検査、カメラの挿入などくりかえした。

その後、おさまり、ようやくオープン2日前の夜、事件は起こった。

その日は、水道工事のため、夕方より業者を呼んでいた。

その間、留守番を妻に任せ、僕はオープンに向けての

食材の仕入れにでかけた。

気合は十分である!!!!

肉に、イカ、エビ、ホタテ、野菜に、調味料、

とにかく当日いるものを、あれこれ書き出し

夢と希望に満ち溢れていた。 

(数分後、僕の夢の舞台が、水に満ち溢れていることなど、知るよしもない)

そして大方の、買い物が終わり帰りかけたころ

僕の携帯が鳴った

プルゥ プルゥ プルゥ

妻からだ。

「はい、はい、なにぃ?」気軽な僕の声。

妻 「まぁくん、早く帰ってきて!!!!お店が大変やねん!!!!」

  (55歳の僕は、まぁ君とよ呼ばれている。

   テレはない!むしろ、誇らしいくらいだ!

   4歳の孫にも、まぁくんと呼ばせたいのだが、

   残念ながら呼んでくれない。)いやいや失礼、話しがそれた。

僕 「ちょっとまって、どないしたん?」

  ただ事ではなさそうであったが、僕はのんきに聞いた。

妻 「天井から雨が降ってきて、もう店内全部水浸し!!

   2階の水道管が外れたらしい。

   その水が全部うちに落ちてきて、もうあかん!

   オープン無理や!!!!!」

   家の店舗は、2階建ての1階で、2階はその日、内装をいじっていた。

僕 「あはははぁ!(笑) そうかぁ。そら、しゃーないなぁ!」

妻 「何で笑ってるん?」

僕 「だって、どうしようもないやん!」

妻 「ほんまやなぁ~!あははは!!(笑)」

僕 「とにかく帰るわ」と言い電話を切った。

笑ってはみたものの、けっこう大変な事態だろうなぁ~と

少し憂鬱になりながら、買出しの荷物を載せた自転車を

コキコキこいで、帰り道を走ったのだった。

お店に帰ると、思った以上に大変な状況であった。

が、つづきはまた明日にしよう。

パソコンの苦手な55歳は、あんまり頑張ると肩がこるのである。

Puppy3_2

2006年4月21日 (金)

焼き芋いかがですかぁ~

しかし、今日は寒いなぁ~。

寒いといえば、去年の暮れを思い出す。

去年の暮れは、とにかく寒かった。

雪の降ることも、この大阪で1回や2回ではない。

僕は、防寒着に身を包み、雪の降る夜道で

「美味しい焼き芋いかがですかぁ~、一本100円ですぅ」

と、マッチ売りの少女みたいなことをしていたのだ。

(いやいや、そんなに可愛くはないのだが・・・・・

 もちろん、片手には熱燗を握り・・・どんな焼き芋屋やねん!)

なぜ、そのようなことになったのかと言うと、

話しは、オープン前の去年にさかのぼる。

僕らは、11月半ばを過ぎた頃から、ようやく焦りを感じ始め、店舗を探すことにした。

最初に見つけた物件が、けっこう気に入り、

思いのほか、早くに決まってしまい、ほっとしたのもつかの間、

12月頭に契約を済ませ、内装、看板、器の発注・・・・・

よく考えたら、年末である。

何を頼んでも、時間がかかる。

どう考えても、オープンは来年になる。

そこで僕は考えた。

しばらく、ラーメンが無理なら、準備をしながら店頭でなんかできないか。

真っ先に思いついたのが「焼き芋」である。

早速、インターネットで焼き芋焼き機を見つけ、135,000円で購入。

妻は呆れ顔だが、僕には関係ない。

なぜかって?

自信があるのである。

美味しい焼き芋を焼いて、それをみんなに喜んでもらう。

そうなると、妻も黙ってはいない。

「私、玄米弁当作る!」

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彼女は昔から、弁当屋になるのが夢だったのだ。

かくして僕らは、芋&玄米弁当でオープンまでの1ヵ月半をしのぐのであった。

2006年4月19日 (水)

ミスターパピー!

今日早速、昨日の続きから入ろうと思う。

そして僕らは、1日遅れで無事帰国。

天候不良で飛行機が遅れ、乗り継ぎの飛行機に乗れなかったのだ。

お昼前に、帰宅。

まずはうどんを食べに行く。

そして一眠り。

夕方起き上がり、また出かける。

扉を開けると、「いらっしぁいませ~」

プゥ~ンと、おでんのいい香り。

まずは、やはり「芋ロック」

そして、ジャガイモ、こんにゃく、大根、ドテ焼き・・・・

やはり日本の食文化はすばらしい!!!!

と、堪能ばかりしてはいられない。

隣でジャガイモをほうばる妻に、「店の名前、どうしようか??」

イタリア帰りの僕らは覚えたてのイタリア語をいくつかあげてみる。

(今となってはもう忘れたが・・・)

そのとき僕はふと思い出した。

北新地時代、若いきれいな女の子たちが

僕ぐらいのおじさんの腕につかまり

「ねぇ~、パピ~?!」と、甘えているのを。

そうだ!パピーがいい!!

そして妻に「パピーなんてどう?ちょうど僕なんかお父さんって感じだし」

妻は携帯で辞書を引く。

「お父さんなんて意味はないみたい。

 子犬、青二才、未熟者、あはは!!これぴったり!」

僕は少しがっくりきたが、

でも考えてみたら、麺を扱うのも、カレーも初めて

ラーメンの世界では、まだまだ赤ちゃん同然。

よし!未熟者だからこそ、がむしゃらに、1つ1つ勉強して

そして、子犬だからこそ、将来未知の可能性を持っている。

「それに、パピーって響きも可愛いし

 簡単で覚えやすくて、いいんちゃう?!

 ミスターなんてつけたらどう???」と、妻。

  ミスター パピー

これだ!!かなりぴんと来る!

かくして、イタリアから帰国後、一応名前だけは決まったのであった。

2006年4月18日 (火)

そしてイタリアへ

僕には19歳年下の嫁がいる。

もうすぐ54になるという1ヶ月前、友人たちに祝ってもらい

ささやかなパーティーを行い、めでたく結ばれた。

僕には息子も孫もいる。

息子と嫁はほぼ同世代。

周りからは、若い嫁をもらい「うらやましい」との声も多いが

それはそれで苦労も多いのである。

それに、若い嫁をもらったとなると、みんなが心配してくれるのが

あっちのほうである。

どれほどお金を使ったことか・・・・・・。

アメリカ製、逆輸入、中国漢方、もちろん国内製から始まったわけだが

いや! 

そんなはなしではない。

昨日の続き、カレーラーメンの話である。

とにかく、「次はカレーラーメン」と決めたからには

鉄板焼屋は閉めなくてはならない。

お客さんからは、「それはそれで残しておいては?!」

「カレーラーメンだめでも、ここがあれば食べていけるし」

などと言われもしたが、僕の性格上やるとなったら全力投球。

昨年9月に鉄板焼屋は閉めて、カレーラーメンの研究に没頭したのである。

と書きたいとこだが、

まずは可愛い新妻と、イタリア旅行へ飛び立つのであった。

このときは「カレーラーメンなんて新境地やし、意外と麺はパスタがあうかも」

などと、のんきなことを言っていたのである。

後になって、頭でえがいていたカレースープでは、にっちもさっちも行かず

苦悩の連続、麺のゆで方、スープとの相性、

何をとっても、その奥の深さに 頭を抱えることなど、知るよしもなかった。

2006年4月17日 (月)

そうだ、カレーラーメンだ!

昨夜は、結局ブログが完成したのがPM11:00を回り、かなりお腹もすいたため

嫁と二人、いつも行くお寿司屋さんへと向かいました。

しかし、寒い!

チャリンコで10分も走るとかなり冷えてきました。

お店に入り、カウンターに座るなり

「熱燗ちょーだい!」

それまでにも「芋ロック」をたいがい飲んでいたため、これはまずい兆候。

う~ん。しかし、うまい!

Photo_1 そしていつものごとく、鯵、鯖、鰯とはじまり

マグロにうなぎ、、、、、。

なんだかラーメンが食べたくなってきた。

あ~、酔っている証拠だ!

飲べば飲むほどに食べたくなる。

隣の妻も、いい調子に。

そして二人でラーメン屋へとむかう。

ぺろりと平らげ外に出ると、隣はなじみに店。

表電気は消えていたが、中ではスタッフが飲んでいたため合流。

さすがにここでは可愛く、ジントニック2杯でとどめたものの

次の日二日酔いであったことには間違いなかったのでした。

ちょっとまって!

僕はこんな酒飲み人生を語るためにブログを立ち上げたわけではないのです。

「カレーラメン」の専門店という大勝負に出たからには

すこしでもこの「カレーラーメン」というものを世間の人に知ってもらいたくて

はじめたわけです。

ラーメン屋をしたかった僕が、なぜカレーラーメン1本に絞ったのか。

ラーメンという業界は非常に競争が激しく

新店舗がどんどん出来る割には、つぶれていく店も多い。

何か人と違うことをやらなくては!

友人から「カレーうどん専門店が今受けてる」ときかされ

ひらめいた!そうだ、カレーラメンだ!!!!

ラーメン屋のメニューとして脇役でほそぼそとしのいでいるカレーラーメン。

これを専門店にしてにてはどうか。

どこにもない、カレーラーメンを作ろう!

と、決心が固まったわけです。

とまぁ、以外に単純な動機でありました。あはは!

今日のところは、この辺にしておきます。

なんせ、お店をオープンするまでには、考えられないことの連続なのです。

おいおいお話できたらと思います。

さて、お仕事お仕事!

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